雛壇アーキテクチャー

雛壇つくるぜ

『2分の1の魔法』観てきたよ

■久々のピクサー映画

 元々、2020年3月に観よう観ようと楽しみにしていた

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だが、例のウイルスの影響で公開が見送られ、かなり落胆したのをはっきり覚えている。当初の公開予定日から約5か月後の8月21日の公開は待ち遠しくて首が伸びきってしまった。この日まで映画館の運営や映画の配給を守り続けた関係者の方々に深く感謝しつつ鑑賞してきた。

 結論からいうと、ピクサー映画には珍しく気になる点があったものの100点/100点の映画だった。

 

■あらすじ

 この主人公のイアンが16歳になった誕生日に、亡き父からの預かりものとして魔法の杖を母から受け取り、ファンタジーオタク(魔法オタク?)の兄バーリーと共に父を復活させるための冒険の旅に出る、というのが大まかなストーリーだ。

 イアンは、とても心優しいものの自分に自信を持てず、自信のなさの根本原因を父親との思い出の欠落にあると思っているフシがあるので、本作の冒険の中で父親を復活させるという目的はとても強い動機になっている。

(以下、ネタバレ注意)

 ※長いので結論だけみたい人は「■イアンの冒険物語としては完璧」というところから読んでもらえればと。

※映画の内容を思い出すために話の筋を追って書いていたら長くなった。

 

■冒険に出る前のイアンというキャラクター

 イアンは、心優しい主人公だ。心優しすぎてオドオドしているため、クラスメートともまともに会話もできておらず、おそらく心から信頼できる友人関係を築くことができていない。

 これは家族との関係においても同様で、高校を卒業した後も大学に進学することもなくボードゲームに熱中している兄バーリーのことを心のどこかで恥ずかしい存在、避けておきたい存在として認識しており、イアンはバーリーに対して心を開いていなかったと言ってしまってもいい。

 実際、イアンを学校が終わったら迎えに行くというバーリーの言葉を即座に拒否した点や、イアンが必死の思いでさほど仲良くもないクラスメートを誕生日パーティに誘おうとしている時に(しかもうまくいきかけている時に)現れたバーリーを見てパーティのことはなかったことにしてその場を逃げるように立ち去った描写からも明らかだ。他の家族である母とペットのドラゴンもどきとの関係でも同様で、これはイアンの朝食シーンからも推測できる。

 こういった一方通行の関係は、極限状況では一気に破綻につながる大きな火種になる。本作でいえば、冒険の旅の途中でバーリーが話すと言っているのにイアンがバーリーの言葉をさえぎってマンティコアにイアンの思いをぶつけるシーンや、バーリーが『おそろしの道』で行った方がいいと言っているのに、表面的な理屈で高速道路で行こうと主張するシーンにその予兆が現れてしまったのではないか。どこか恥ずかしい存在のバーリーの考えはきっと間違っているので、自分の考えの方が当然正しいだろうというある意味高慢な態度がこういったシーンで現れたようにみえた。

 なお、マンティコアの酒場で「オレが喋るからお前は何も喋らなくていい」というバーリーがファミレスの店長に時代劇風な言葉で話しかけるのを見て気恥ずかしいというイアンの気持ちも分からなくはないが、高速道路で行こうと主張するイアンの根拠もケイリーちゃん(幼女)が解いたお子様メニューのパズルの答えの表面的な言葉だけなので、イアンの考えも兄を蔑ろにできるほど立派なものかというと微妙と言わざるを得ない。

 

■不穏な空気

 こういった態度はバーリーにも不愉快なものとして映っている。当然だ。バーリーは弟の背中を明るく押しながらこの冒険を進めているのに、弟が自分をないがしろにしているからだ。

 バーリーは、そういう状況でも弟だからと許容し、これまでと変わらず明るく弟を励ましながら冒険を続ける。

 しかし、嘘をつくと変身が解けてしまうという魔法を使ったイアンがバーリーのことを「厄介者」(だったかな?記憶が曖昧。)と言ってしまったあたりでバーリーの寛容さにも限界が訪れ、険悪な空気になってしまう。

 そこは何とか父のダンスで持ち直し、再び気を取り直して冒険を続けることができ、バーリーの直観である「おそろしの道」の方が正しい道であるようだ、という状況になってイアンからしてもバーリーの直観は正しかったのかもしれない、と思うことができるようになり状況は更に好転する。

 こうしてイアンはバーリーに対して心を開けるようになりながら、バーリーの励ましで次々に訪れる危機的状況を乗り越えていくが、結局最後に行きついたのはいつもの街のいつも通っている高校だったことから、イアンはやはりバーリーのことを信じるんじゃなかった、と暴言を吐き捨てて父親の脚を連れて悲嘆にくれることになる。

 

■クライマックスで円満になる

 そして、ここからが本作のクライマックスになる。父親の完全復活を諦めたイアンは、『父親が復活したらやりたいことリスト』を見直して実現できなかった項目を削除するという作業を始める。しかし、そのとき、やりたいことリストのすべてが実は兄バーリーと一緒にやってきたことだと気付き、自分には父親の思い出は何もないけど、いつも家族の一員として父親のように無償の愛を自分に与えてくれていたのは兄だったのだと気付くことになる。ここへきてバーリーへ謝罪しようとイアンは兄を探し始める。

 他方で不死鳥の石を見つけた兄もイアンを見つけ、呪いが発動する中でイアンに石を渡して復活の魔法に再度チャレンジする。タイムリミットの日没はもうあと何分だろうかというタイミングだ。

 魔法の威力が強く、身体を支えられないイアンはバーリーに支えをお願いするが、最初の復活の魔法のときにバーリーがイアンを支えようとしたときと対照的で、イアンの中でバーリーに対する気持ちが本当に変わったんだなと確認できるシーンだった。

 復活の魔法が作動している間、呪いのドラゴンを止めようとするバーリーをイアンは制止し、「僕には確かに父さんとの思い出はないけど、ずっとバーリーが一緒にいてくれて見守ってくれていたことがよく分かったからもう大丈夫。むしろバーリーは父さんとの最後の思い出であるお別れをちゃんと言って欲しい。」ということを伝え、自らドラゴンに向かっていく。先ほどの『やりたいことリスト』のシーンに続けて観客の涙腺を壊しにかかる恐ろしいシーンだった。

 その後、母のサポートを受けつつドラゴンを魔法の力で倒し、兄バーリーは復活した父親にほんのわずかな時間だけ再会し、少しだけ言葉を交わして父親が消えてしまうシーンを挟んで、イアンは、バーリー経由で父親からの言葉と抱擁を受け取ることになる。ここでまた観客の涙腺は強烈な攻撃に晒されることになる。

 冒険の後、イアンは自信がなかった頃とは違い、学校でも友達ができ、家でもオドオドしない自然な振る舞いができるようになっている。バーリーとも仲が良く、グィネヴィア2世もペイントをイアン自身がやっていたりするというハッピーエンドで終了。

 

■イアンの冒険物語としては完璧

 イアンは本作の冒険の中で、自分の中にあった自信のなさ(自己肯定感の欠如?)を解消するために、父親の復活を当初のゴールに据えつつ、実はバーリーから無償の愛情を貰い続けていたことに気付くことで、実は本質的にはゴールに既にたどり着いていたことに気付くのだが、物理的に辿り着く目的地も実は日常生活の場であるところともオーバーラップするし、感情の描き方としても、バーリーのことを『悪いお兄ちゃんじゃないんだけど、弟としては恥ずかしく思ってしまうだろうなぁ』と観客が思ってしまう描き方をしているので、ある程度ではあるが、無意識のうちにイアンへの感情移入ができるような作りになっているのも効いて大いに心を揺さぶられる作りになっていた。

 何より、実は身近で大切な人から生きていくうえで最も根元的な愛情をもらっているよね、というゴールに自然とたどり着かせるあたりは、観客の誰をも突き放していなくて色んな人が心動かされるのではないだろうか。敵として描かれる人格をもった存在もいないので、普遍性という意味ではとても素晴らしい映画だった。

 妖精やマンティコアが飛べるようになる点や、イアンが魔法を使えるようになる点などは「足りないと思っているものでも、実はちゃんと身の回りにあるんだよ」ということを描くフォーマットとして機能しており、イアンの兄バーリーからの愛情がまさにそのテーマで辿り着く究極として描かれていて、兄弟愛とか家族愛という物語としても普遍性の強い映画だったといえるのではないかと思う。2回観たが、2回とも良すぎて泣いた。

 

■吹替版で気になったところ

 ただ、あまりにも完成度が高すぎて逆にいくつか気になったポイントがある。一つは、吹替版での話で、しかも数秒程度なのだが、イアンが『やりたいことリスト』を書くときの手の動きと文字の動きが一致していないことがまず気になった。オリジナルは英語なので、英語を書くイアンの手の動きが日本語の文字の形とマッチするわけがないのだが、映像表現の美しさでも完璧なクオリティだったので、ほんの数秒でもノイズとなってしまい気になった。ついでに描かれた文字はいかにも「ゴシック体です!」という文字になっていたのも気になってしまった。

 

■バーリーのその後は?

 もう一つ気になったのは、バーリーはその後大学に行ったり新しい生活が始まったのかが分からないというところだ。本作の物語の中で、イアンはバーリーと過ごしてきた日々に無償の愛情があったことを振返り、自らも成長して新たな日常が始まる、という奇麗なハッピーエンドを迎えているが、バーリーの新しい日常は特に描かれていないように見えたので、ひょっとして以前と変わらずボードゲームに興じる日々を過ごしているのでは?などという考えが頭をよぎって少し不安にならざるを得なかった。

 他方で、次のように考えることも可能だと思う。バーリーから大きな愛情を受けていたことに気付いたイアンが、あれだけ固執していた父親と触れあうチャンスを全面的にバーリーに譲ることでバーリーは父親にちゃんとお別れをいうことができ、唯一のネガティブな思い出を解消できたのだ、と考えると、イアンもバーリーのために愛情でお返しをしているともいえる。

 

■邦題と原題

 邦題は『2分の1の魔法』、原題は”Onward”でタイトルを見たときの印象は大きく異なる。原題の”Onward”はイアンの冒険物語としてみるとしっくりくるので、作り手の方々としてはイアンの冒険物語をメインに意識したということかなとシンプルに考えることができたが、邦題の『2分の1の魔法』はどういう意図なのかは正直なところ分からなかったので、以下のように推測した。

 イアンは社会生活はきちんとしつつも自分に自信が持てないタイプ、バーリーは社会生活はイマイチだけど自信を持っている(というか非常にポジティブな)タイプ、という対照性のあるキャラ設定にしているから、ラストではお互いに欠けているものが補われて新しい第一歩を踏み出す、という物語を本作から読み取って『2分の1の魔法』という邦題を付けたのではないか。

 本作の冒険で得られた魔法はライトフット兄弟で半分ずつ分かち合い、上記のようにバーリーも父親との唯一のネガティブな思い出を乗り越えてイアンから大きな愛情を受けることができているので、双方向の家族愛/兄弟愛の物語と捉えることも可能だ。本作を観ていて心を激しく揺さぶられるポイントは、バーリーとイアンの兄弟愛なので、このように捉えることはむしろポイントを絞って考えられたタイトルの付け方といえると思う。

 

■まとめ

 バーリーのその後のことはとても気になる(しつこい)が、普遍的なテーマで人の心を揺さぶる傑作だったことは間違いないので1億点/100点くらいなのかもしれない。バーリーのその後が明るければ5,000兆点。