雛壇アーキテクチャー

雛壇つくるぜ

フォード vs フェラーリ観てきたよ

■総評

 『フォード vs フェラーリ』をIMAX 2Dで観てきた。最高の映画体験だった。そもそもが非常に良い内容の映画である上にIMAXの破壊力を上乗せした贅沢映画体験とでもいうべきだろうか。

 こうして私の人生はIMAX前とIMAX後の二つに分断されることとなるのかもしれない。95点/100点。

www.foxmovies-jp.com

 

 ちなみに私は自動車のことやモータースポーツなど全く知らないド素人だが、メインキャラクターを魅力的だと感じられたのでものすごく楽しむことができた。

 いや、むしろド素人だからこそハラハラドキドキの気持ちが続く150分間を楽しむことができたとすら言える。

 上映時間の半分以上はハラハラのあまり拳を握り込まざるを得ず、せっかく買ったポップコーンを食べるタイミングを完全に逃してしまった。

 

 モータースポーツのモの字も知らない素人なりに様々な感情が溢れてくるのでいきなりネタバレ全開の感想を長文で書く。未見の方はご注意を。

 

(以下、いきなりのネタバレ注意)

 ■映画のタイトル

 観終わってみると『フォード vs フェラーリ』というタイトルは「タイトル詐欺気味だな」と思ってしまった。

 何故ならば自動車ド素人からすると、今作は、ル・マンでフォードがフェラーリを下した戦いを描いた、というよりも、ケン・マイルズという人物が不器用ながらもレーサーとしてあがき戦い、そして映画の観衆がそれを応援する物語、だと思われたからだ。

 

 フェラーリとフォードが1966年頃にル・マンで火花を散らすというのが物語のクライマックスなので、完全なるタイトル詐欺とは思わないが、『下町ロケット』のような企業バトルエンタテイメントではないことは間違いない。(注:ドラマ『下町ロケット』は私のとても好きなドラマである)

 

 では、『フォード vs フェラーリ』というタイトルを変えるべきか?いや、変えるべきだとも思わない。仮に『ケン・マイルズ』というタイトルになったら、そもそも彼を知らなかった私のような人たちには訴求されない映画になっていた可能性が大きいし、後に述べるようにケン・マイルズは今作の中で不器用ながらもレーサーとしての人生を全うしようと戦う人物として描かれており、66年のル・マンは彼のレーサー人生の栄光と不器用さゆえに付きまとう影をいずれも表している象徴的な舞台だから、66年のル・マンの戦いの当事者企業をタイトルに持ってきたのは自動車のド素人の人間からしても悪くなかったのではないだろうか。

 

 なお、ここは自動車ド素人ならではの感想で、モータースポーツに造詣が深い方であれば全く逆の感想を抱くのかもしれない。

 

■ケン・マイルズという男は不器用で破天荒である

 スポーツカーを買ったものの調子が悪いという自分の店の客に対して、車の調子が出ないのは「あんたの運転技術がお粗末だからだ」ということを怒っている客相手に堂々と言ってしまう。

 レース本番では、トランクの大きさがルールよりも小さいと指摘されたときに大きなカナヅチでトランクを内側からボコボコに殴りつけ、審査員に「子どものころからこんなクソみたいな仕事をするのが夢だったのか?」と悪態をつき、それをたしなめる仲間(シェルビー)にレンチを投げつける。

 そんな男がケン・マイルズだ。

 

 ただし、ケン・マイルズは、こうした人間関係に対する不器用の権化というだけの男ではない。

 

 彼はエンジニア、ドライバーの仕事に対しては実直そのもので、プロジェクトの上層部から理不尽に(と言っても、ケンのアクの強い振る舞いが原因になっているので、社会人的には理不尽とも言い難い側面はある)プロジェクトから外されてもエンジニアとして誠実に(しかも誰も気付いていない重要かつ正確な)アドバイスし続けてチームを見捨てることはしないし、危険な目にあっても情熱と冷静さを同時に発揮してマシンのベストパフォーマンスを最前線で引き出し続けるなど、自分の感情を抑えきれない炸裂弾のような人間であるかに見えて、実のところ仕事の重要な場面ではしっかりとチームプレイができるなど人間として尊敬すべき点も多い人物でもあった。

 

 アクの強い振る舞いさえなければここまで苦労しなかったのだろう、と思いつつも、フロントガラスが割れたマシンでレースに出て普通に楽しく優勝してしまうあたりなどを思い返すと、彼のドライビングはその破天荒な性格あってこそ限界まで極められているという気もするので何ともいえなくなった。ちなみにフロントガラスが割れたのは、上記で彼が投げつけたレンチをシェルビーが避けて背後にあったマシンに命中したからだ。

 

■ケン・マイルズという男は人間味に溢れている

 仕事以外の面でもケンは愛すべき人物として描かれている。

 

 仕事では上司や客にケンカを売りまくるような自分を抑えきれない人物なのかと思わせるほど言動が危なっかしい一面を見せつつ、一人息子のピーターに対しては非常に優しい父親で、ピーターもケンのことを全面的に信頼している。

 

 奥さんのモリーに対しても決して暴力夫というわけではなく、愛情に満ちた関係を築いている。逆に、ケンが一度はレーサーを引退することを決めた後で復帰しようか迷っているときに奥さんがケンにブチ切れて暴れるシーンすらあったが、ケンは終始紳士的な対応だった。

 

 また、ケンとモリーの関係について今作で最も心揺さぶられたシーンがあったので書いておきたい。

 

 デイトナ直前の練習(調整?)の中でブレーキからマシンが出火してケンにも火がつくというアクシデントが描かれるのだが、心に残っているシーンはそれに続くデイトナの中でのワンシーンだ。

 何とかデイトナ本番を迎えたケンは、ピットイン後の僅かな時間で奥さんに電話をかけ、レースの轟音でほぼ会話が成立しない中でも「幸運を祈ってくれ」「幸運を祈るわ」といったやり取りをする。

 このシーンでは、ケン自身がこれから命を落とすかもしれないと思っているであろう中で、愛する妻の声を聞いておきたいと甘える心境、それを受け入れるモリーの優しさ、そして二人の信頼関係を自然に表現しているように思われ、ケンの人間臭さ、それゆえの人間としての魅力が映画的に見事に現れていた。トゥンク(心がケンにときめく効果音)。もはやケンを応援するしかないのである。

 

■シェルビーとのケンカに見るケンの魅力

 仲間のシェルビーとの関係もケンの優しさが見て取れる。上記のとおり、シェルビーに対しては、レースの審査員にブチ切れるケンをたしなめてレンチを投げつけているし、一歩間違えば大怪我間違いなしの蛮行だ。

 また、フォード上層部の独断でケンをプロジェクトから一度外すことになったことについて謝罪に来たシェルビーの鼻に思いっきり鉄拳をぶち込んでもいる。

 

 こう書くとケンは家族以外には人として向き合えない寂しい男にも思えるが、実際にはそうではないと思う。シェルビーは鼻に一発撃ち込まれた後、買い物袋を抱えて去ろうとするケンに殴りかかってケンカを始めている。このとき、ケンとシェルビーはその場にあるものを手に取って殴り合いをするのだが、撒き散らされた買い物袋からこぼれ出た何かの缶詰を手探りで手に取るものの、それが缶詰であることを確認するやそれをふわふわのパンが入った袋に持ち替えてシェルビーに殴りかかっている。

 

 彼は揉み合っている至近距離で缶詰を使って殴りかかると相手がケガをすることを理解していたのだ。ふわふわのパンはケンの優しさのメタファーに他ならない。これはケンカではなく仲直りのためのじゃれ合いだ。そしてレンチを投げつけたのは、元ル・マン優勝レーサーであるシェルビーの反射神経を信用してかわすことを織り込んでいた信頼の証なのだ。たぶん。

 

 親友に対しては仕事のプロフェッショナリズムから対立することもあるが、それはひとえに誠実さゆえだ。そこに感情が絡むと手が出てしまう、そういう男なのだ。

 

 ケン登場時には「おっかねえおっさんだ」と思ったものの、別の一面が見えるたびに人間くささが見えてケン・マイルズという男を決して憎めない人物だと感じるようになっている。

 

■実話ゆえに全く読めないストーリー展開

 こうしてケン・マイルズのことやル・マンのことを全く知らない層の人間にとっては、ケンのキャラクターに魅せられてしまうと応援することになるのだが、今作はこのキャラクターへの感情移入を踏まえて更に巧妙な仕掛けがある。それは先が読めないハラハラ感だ。

 

 今作は実話をもとにした映画である。そのため、全くもって先のストーリー展開が読めないのだ。

 

 モータースポーツは命がけで、レース展開そのものが全く読めない。ひょっとするとペダルを踏み込んだり、緩めたり、カメラのカットが切り替わった次の瞬間にはマシンがクラッシュしているかもしれないと思うと全く安心できなかった。ル・マンのレースの最中は実におそろしい時間だった。それゆえに「頑張れ、頑張れ」「事故らないでくれ」と拳を握りしめっぱなしだった。

 

 おかげでポップコーンもジンジャーエールも碌に手を付けられなかったが、自動車レースのド素人だったおかげで66年のル・マンをリアルタイムの特等席で見るのと同等の体験が出来たともいえる。66年前後に旅立つピンポイントのタイムトラベルに加えて、ル・マンのフォード陣営の中に入れる体験できるマジカルミステリーツアーだったと考えれば安いものだ。

 

■お芝居、映像、音楽すべて良い

 ケンを演じるクリスチャン・ベール、シェルビーを演じるマット・デイモンの演技は最高だったが、悪役と言ってもいいフォード社の重役レオ・ビーブを演じたジョシュ・ルーカスのお芝居は完璧だったのではないだろうか。

 

 今作を観た人はほぼ全員彼のことを嫌なやつだと思ったのではないだろうかというほどの嫌われ役っぷりだったのだが、お芝居が非常に自然だった。ごく自然に嫌われ者を演じているようにしか見えず、ジョシュ・ルーカスが嫌いなのか役どころであるレオ・ビーブが嫌いなのか分からなくなった。

 

 ル・マンのコースの難しさや他のマシンを抜き去るときのスリルなどを言葉でなく映像でしっかりと観客に見せ、初めてマリオカートをやる子どものように画面の動きに合わせて観客が身体をくねらせるような映像体験をさせたあたりも秀逸だった。

 

 書き始めると野暮な長文しか出てこないのでこのくらいにしておくが、非常に良い映画体験過ぎて、2020年の最初の一本がこれだとハードル上がりそうで怖い気すらした。そこに怖気づいて95点としたが、今作を120点にすれば後続の作品も調整が効きそうなので、やはり120点にする。