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『エクソシスト 信じる者』を観てきたよ

■プロローグ

 タイトルのとおり、『エクソシスト 信じる者』(※リンク先音声注意※)を観てきた。観た後で、他の人の感想が書かれたブログ等を読んでみて、否定的な方向のコメントが多かったような印象を受けたが、私としてはとても良い映画だと思った。

 とあるタイミングで体調を大きく崩して以来、ブログを書くことからすっかり遠ざかっていたが、このデジタル大海原の中でこの映画に対する好意的な感想文がプカプカ浮かんでいてもいいではないか、ということで久々にはてなブログを開くのであった。

 

■総評

 90点/100点。ホラー映画だけどしっかりと普遍的なテーマを扱った人間ドラマでもあった。(以下、ネタバレあります)

 

 

 

 

 

 

 

 

■2人の少女が憑依される意味

 メタ的な側面でいえば、対比のために2人の少女(アンジェラとキャサリン)が悪魔に憑依されたという形になったのだと思う。

 アンジェラ・フィールディングスは、ご家庭が父子家庭なのだが、父親のヴィクター・フィールディングスは隣人からゴミ箱の出し方を注意されても「チッ めんどくせーな」的な態度だったり、他の人に迷惑になる位置で車を思いっきり停めたり、はっきり言って社会的には良い印象を持たれないような人が父親であること、そしてアンジェラ本人も授業中に私語をしまくって教師をキレさせるという具合の一家である。

 対してキャサリンはというと、ご両親も幼い妹さんと弟さんもみな敬虔なクリスチャン(プロテスタント?)で、教会のコミュニティにも非常に馴染んでいて、社会的なつながりという面ではフィールディングス家と比較にならない信用があると思われる。

 こういう面でも対比が可能だが、この2人が悪魔に憑依されて最終的に悪魔に打ち勝つのはアンジェラの方である。なぜアンジェラが悪魔に打ち勝てたのかというと、人との繋がり、信頼というものの有無で結果に差が出たのではないか。

 

 悪魔から取引を持ち掛けられ、目の前で神父があっさりと殺されてしまっても、悪魔の言葉には耳を貸さず、娘を信じて娘の心を必死に取り戻そうとしたヴィクターとアンジェラが悪魔に打ち勝ち、娘が戻ってくることを信じるよりも悪魔の甘言に乗せられてしまったキャサリンの父親が騙されてしまったのである。要するに、社会的にはアレなフィールディングス家も、父子間の信頼関係は本物だったのだということだろう。

 

■形じゃなくて中身が伴わないとダメ

 今作では、教会側が悪魔祓いを認可せず、2人を精神科で治療するように申し伝えるが、そもそも精神科での治療でも効果が出るか疑わしいような事態になった少女が全く同じタイミング、同じ状況下で2人も発生したのだから、その異常さは明白といってもいい。にもかかわらず、教会は悪魔祓いを認めない。

 教会の偉い人たちから悪魔祓いの許可をもらいに行った若手神父のプレゼンも具体性と客観性に欠けていたからある意味仕方ない気もするが、それはともかく悪魔祓いはNGね、という結論に対しては、観客としてはアチャーという気持ちにさせられる。

 しかし、結局、教会による正式な悪魔祓いでなくともフィールディングス父子の絆の力で悪魔を退けることができたのだ。形式が宗教的に正しい方式であっても、中身が伴っていなければ悪魔には勝てないということではないだろうか。

 ベタといえばベタだが、そういう絆や信頼関係こそが、人間の力の最大の源泉の一つであることは疑いようもないので、説得力はある。

 クリスが女性だからという理由で悪魔祓いの現場に同席させないという教会の古いしきたりも、今や政治的に正しくないし、何なら教会の力なしで戦って勝ったということは、キリスト教以外の人たちにも悪魔祓いの門戸を開くような印象も持たせるので、現代的にも非常に意味があることだと思う。

 

 (ここから追記)そういえば、キャサリン一家が日頃通っている教会の牧師さん(?)も悪魔祓いの現場に来て「この子たちから出ていけ悪魔よ!」みたいなそれっぽい台詞を2回ほど叫ぶシーンがあったが、悪魔は完全に無視していた。

 他方で、隣人の看護師さんが神父から借り受けた悪魔祓い用の道具で必死に悪魔祓いをしようとすると、十字架が真っ赤に焼けたり、過去の罪を暴いてきたりですごく反撃を受けていた。

 これも要するに、牧師さんの「悪魔よ立ち去れ(キリッ」は見かけだけで本当にキャサリンたちを助けたいという気持ちがなく、看護師さんの方は本当に助けたいという気持ちがあったので、悪魔には効果があった(だから反撃を受けた)ということだと思った。(ここまで追記)

 

■キャサリンのご両親のその後(想像)

 エンディングへ向かうナレーションをバックに、薄暗い喫茶店?ダイナー?的な場所で俯いて座るキャサリンの父親と、その父親の元にゆっくりと歩いていくキャサリンの母親の映像があったが、私はこのカットをみてこの二人は離婚するのではないかと思った。

 母親は悪魔からの甘言には乗らなかったものの、父親が乗ってしまったことで娘が悪魔に殺されてしまったわけで、非常に敬虔な母親や、キャサリンの妹や弟にはそういう父親は受け入れ難いのではないか。そして、父親自身も敬虔なクリスチャンだったと思われるが、父親自身も冷静になれば、悪魔が約束を守るわけがないということは理解できると思われるので、自分の行動を一生後悔することになるだろう。さらに、クリスチャンは基本的に離婚してはいけないはずなので、仮に離婚したということになれば、もっとこの父親を苦しめることになる。

 悪魔って本当にタチが悪い。

 

■クリスに救いがあって本当によかった

 オリジナルのエクソシストで、悪魔に憑依されたリーガンの母親のクリスも今作に登場し、かなり重要なポジションで行動するが、前作後のクリスとリーガンの人生が過酷だったうえに、今作でもあんなことに……という感じで、心を痛めながら映画を見ていたのだが、最終的にクリスに救いが訪れるシーンが明確に描かれ、観客としてもかなり心が救われたと思う。私は涙が出そうになった。

 

■2人が憑依される他の意味

 観客としては、エクソシストをわざわざ観に行っているわけだから、やはり人に憑依した悪魔がどんなとんでもないことをしでかすのかを怖いもの見たさで観たい、という気持ちがある。

 そういう行動を2人分見ることができるのだから、そういう意味でも2人が憑依されるというのは満足度を上げる要因になっていた。

 

■まとめ

 ごく簡単にいうと、人との絆、愛は最強!という非常に普遍的なテーマをホラー映画という切り口で描いた名作だったと思う。またこの製作チームの映画を観てみたい。

 あと付け加えるなら悪魔はクソ!